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日本の文様ガイド

今回創作したアイテムでもちいた日本の伝統的な文様について紹介します。

㋐ 正倉院文様 ㋑ 大和絵・平安時代の意匠 ㋒ 名物裂・能衣装
㋓ 桃山・慶長・寛文小袖 ㋔ 琳派・御所解

㋐ 正倉院文様

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正倉院文様

正倉院は奈良時代に建立された、東大寺の大蔵です。中には、聖武天皇ゆかりの品々が数多く残されています。西アジア(ササン朝ペルシャ)や中国からもたらされたものが多く、国際色にあふれているのが特徴です。
正倉院の宝物は染織品だけでも十数万点にのぼり、これらを一般的に「正倉院裂(ぎれ)」と呼んでいます。この正倉院裂の文様を「正倉院文様」と呼びますが、楽器や調度品など正倉院に納められている宝物を文様化したものを含めて「正倉院文様」と呼ぶ場合もあります。

㋑ 大和絵・平安時代の意匠

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大和絵

「大和絵」は、日本の絵画様式のひとつで、中国風の絵画「唐絵」に対する呼称です。平安時代に発達した日本独自の絵画のことで、代表的には『源氏物語絵巻』などの絵巻物に見られ、土佐派などの流派に受け継がれ、近代・現代の日本画にも影響を及ぼしています。
平安時代から14世紀前後までは、画題として日本における故事・人物・事物・風景を主題とした絵画のことでした。そして「唐絵」は唐(中国)の故事・人物・事物に主題をとったものであり、様式技法とは関係がありません。
14世紀以降は、平安時代に確立された伝統的絵画様式を「大和絵」と称するようになりました。

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有職文様

平安時代以降公家の装束や調度、輿車などに使われてきた伝統的文様です。唐風文化の一部として奈良時代に移入され、平安時代になると和風文化の隆盛とともに変型、固定され、家柄によってそれぞれ特有の文様を使う風習が生じました。

おもな文様には、浮線綾、菱文、襷文、亀甲文、小葵、雲鶴文、唐草文などがあり、近世以降は公家風文化の町人層への伝播に伴い、一般に御所風の模様をも「有職文様」と呼ぶようになりました。

㋒ 名物裂・能衣装

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名物裂

「時代裂」とも呼ばれ、茶の湯道具の茶入や茶碗をいれる袋、袱紗などにする布地にもちいられた裂の総称です。

名物の器具を包む布の意で、おもに室町末期〜江戸初期に中国、東南アジア、インド、ペルシアなどから渡来したものが多く、異国的な珍しさと美しさが茶人に愛好され、それ以後の日本の染織に大きな影響を与えた。

その種類は金襴、緞子、間道、更紗、印金など約400種あるといわれ、愛好者の名、模様の名、名物茶入の名などにちなみ、遠州緞子、鶏頭金襴、松屋緞子などと呼ばれています。 

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能装束

能は、もともと地方で行われていた田楽、猿楽などの土着的な芸能を、室町時代に観阿弥・世阿弥親子が洗練された芸能として完成させたことに始まります。

能の衣服を「装束」と呼ぶのは、武家の装束を形式の基礎にしているためで、16世紀初めの金春禅鳳の時代に整い始めました。その後、舞衣などの独自の装束も考案され、桃山時代には、曲目によって一定の装束付ができあがりました。高級な唐織物は、演能に際して小袖脱ぎなどによって武将などから祝儀として能役者に与えられ、装束として定着していきました。

㋓ 桃山・慶長・寛文小袖

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桃山模様

桃山時代は小袖の基本型が完成した時代で、その文様や配置にも大いに特色があります。
桃山時代の小袖に見られる文様の特徴は、例えば一定の区画をもうけて、そのなかに文様を詰める手法が上げられます。小袖全体を段状に区切ったり、半身ずつ異なった裂を用いたり、肩と裾を雲形や直線に区切ったものなどがあり、その内に文様が表わされます。
辻が花・摺箔・繍箔などを自由に取り入れ、明るく積極的な時代の空気が反映しているといえるでしょう。

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慶長模様

江戸時代の初期慶長年間を中心に作られた小袖を特に、「慶長小袖」といいます。小袖全体を絞り染めで円形・方形・三角形・菱形あるいは不整形に大きく区切り、紅・白・黒・藍に染め分け、その中に刺繍で草花・鳥・器物などの文様を細密に配置し、さらに摺箔などを加えるというかなり手のこんだものが作られました。 これまでに築いた技術をすべて加えたものといえるのではないでしょうか。数々の技法で生地が見えないほどにびっしり埋めていることから、「地無し小袖」とも呼ばれてきます。
色彩的には暗い感じを与えますが、金箔・銀箔をふんだんに使用し、桃山時代の建築・調度品に見られた金銀箔のきらびやかさをきわだたせた濃厚な趣味が、小袖にも伝存したものと思われます。

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寛文模様

江戸時代前半の寛文年間には、主として肩から右身頃にかけて大柄な文様を配し、左身頃には余白を持たせた構図の小袖が流行しました。
技法としては、金糸を豊富に用いた刺繍が見られ、色調は明るくなり、主題のある文様を、はっきりとわかるように配しています。寛文小袖の特徴は、余白を生かした構図にあるといえるでしょう。また、この頃数度の大火で、多くの衣装を焼失したことから、早くて豪華に見えるキモノをという要求に応え、このような小袖が作られたという説もあります。しかし、大火にみまわれる以前からすでに考案されており、江戸時代の町人文化が興ろうとする躍動的な時代の気風をそのままに表わした構成で、その大胆さに魅了されます。

㋔ 琳派・御所解

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光琳模様

江戸中期を代表する画家・尾形光琳が描いた模様ですが、一般にはその作風を踏襲した琳派およびその影響を受けた模様をも含めていいます。

写生風でありながらこれを超脱し、流麗な線と瀟洒な色彩で独特の装飾美を生み出した光琳の模様は大いに流行しました。「光琳模様」も、このころから確立したものと思われます。

ちなみに、18世紀前半期に刊行された小袖雛形から、「光琳模様」の名称が多く用いられています。

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御所解文様

江戸時代後期の特色ある文様に「御所解文様」「江戸解文様」と呼ばれるものがあります。どちらも、公家や武家の大奥、大名の奥向きの女性用の正装で、四季の草花を細やかに配し、一見風景文様と見えるものです。この名称は、近年になってつけられたもので、本来は、身分の高い女性には、キモノ全体に文様のある物を用いるところから「総文様」と呼び、部分的な文様を「右袖がかりの腰高文様」、「裾文様」などと呼ばれるようになりました。
細部に注目すれば、『源氏物語』や謡曲などをふまえた文様と気づきます。武家女性の日本の古典文芸に対する豊かな教養をうかがわせる文様です。しかし、その本来の意味は次第に失われ、単なる四季草花の意匠となっていきました。